数年前から”ミニマリスト”という言葉が流行り始めたのは皆も知っていると思う。
シンプルな生き方・ミニマルな暮らし・マインドクリア…などなど。
要は無駄なモノを持たず、必要最低限のモノにこだわっていけば、雑念が消えたり、集中力が増したり、余計なモノを保持する負荷から解放されるよ~といった思考を持つ人のこと。
ミニマリズム(英: minimalism)は、完成度を追求するために、装飾的趣向を凝らすのではなく、むしろそれらを必要最小限まで省略する表現スタイル(様式)[1]。ミニマリスムとも表記される。「最小限主義」とも。
引用:ミニマリズム – Wikipedia
併せてフリーランスやノマドワーカーという働き方が普及したから、こういった身軽な生き方に憧れる人が増えたと思う。
かくいう俺も、モノは多いより少ない派。
だけど、俺は自分のことをミニマリストと思ったことはない。
そこで今回は、他人から見れば少し変わっているであろう俺の片付け思考法について書き連ねていきたいと思う。
俺はミニマリストではなく、死にたがりスト
なんか物騒な見出しになってしまったがお気になさらず。
かなり極端な言い方だが、俺の考え方を表現するにはこの言い方が1番適しているはず。
というのも、モノを減らす根本的な意識として「いつ死んでもいいように」という考え方があるんだ。
これは、現時点で自殺願望があるだとか、重度にメンタルを病んでいる状態とか、そういうわけではない。
いつ死んでもいいと思えるぐらい身軽な状況が、今の自分にとって最も生きやすいと思うし、ストレスフリーだと考えているから。
死にたがりと思えるぐらいにいつでも死ねる準備をしていること。身の回りのモノや情報をなるべく少なくすること。これを俺は”死にたがりスト“と呼ぶことにした。あまりにもネーミングセンスが無さすぎるから、至急誰かに代替案を用意してもらいたい。
具体的にどういうことか
例えば、今住んでいるあなたの部屋(6畳)に足の踏み場もないぐらいモノが散乱していたとしよう。
そんな状況で、居住者であるあなた自身が不幸な事故や病気などで突然命を落としてしまったとする。
そうすると、その散乱した部屋の片付けや溢れかえったモノの処理作業、他にも本来は本人が対応すべきだったはずの重要書類が出てきたり、契約状態のわからない謎のスマホ端末なんかが出てきたら、すべて身内や代行業者などに依頼して対応してもらうことになってしまう。なるべく死後は誰にも迷惑をかけたくないのが本音。
ならいっそ、いつ自分が死んでも周りに迷惑がかからないぐらい普段からモノが少なければいいんじゃね?というのがこの超極端理論なのだ。
オンライン上の各種サービスの契約情報も整理整頓
上記のようにモノだけが散乱していたなら自分が居なくなってしまっても、最悪捨ててもらえば済む話。
ただ本当に困るのは、本人しか知り得ない契約情報(特にオンライン上)が残されていることだ。
例えば、サブスク料金や携帯料金は自分が居なくなってしまった後も引き落としされ続けるだろうし、本人以外は認識していないから契約を止めようにも止めれないし、IDやPWが不明ならそもそもログインも出来ない。
だから、自分の契約サービスのIDやモバイル回線情報、銀行の口座情報などは遺品整理の際に見つかることを祈って、紙に残して厳重に保管してある。(もちろん借金のことも)
加えて、このブログ上で俺自身の月の生活費や支出内容を記事にしているので、そこから生前の生活状況を把握してもらうつもり。このブログはそういった意味も含めて運用している。俺が死んだらこのブログで色々把握してくれといった次第。
この考え方になったきっかけは、上京してメンタルを壊した時から
ここまで極端な考え方になったのは、上京後に半うつ状態になったのがきっかけ。
この半うつ生活は20歳~21歳の頃のちょうど1年程あって、その間は無職生活で生活費は全て消費者金融などから補填していた。今ある借金の9割がこの半うつ生活の時の借金だ。
半うつ状態で過ごしたその1年間は、後にも先にも俺の人生において最も辛い時期であり、当時は何度も命を投げ出すことを考えた。
だけど、もし今この世を去ってしまえば抱えている借金の返済や今借りている賃貸の部屋の解約などあらゆることを全て身内に任せることになってしまう。
死亡した人の負の資産(=借金)は相続放棄できることは知っていたが、それを直後の身内に強いるのはあまりにも可哀想すぎると思った。
とはいえ、その時期は本当に辛かった。借金も。メンタルも。
だから、万が一の場合を想定して身の回りの無駄なモノを捨てたり、余計に契約しているサービスをまとめたり解約したりした。
軽い終活といったところだろうか。
そしたら、とても心がスッキリしたことを今でも覚えている。
単純に物量が減ったのもあるが、以前よりも気楽に気負わず逝けるかもしれない…という気持ちが自分自身の心を楽にさせた。
そして、いつでも死ねるんなら今はもう少し気ままに生きてみようと思い始めて、そこから症状が回復していった。
この時の経験から、いつ死んでもいい理論を主軸にしてモノと後悔を少なくするようにして生きている。
モノの断捨離はいいが、人間関係の断捨離は気をつけて
病みに病みまくっていた当時の俺は気が狂ったようにモノを捨てていた。
その行為自体はとても心がスッキリするのだが、勢い余って後々後悔するようなモノまで捨ててしまったこともある。だけど、モノは最悪買い直せばいい。
注意してほしいのは、人間関係のリセットだ。
近頃”人間関係リセット症候群”という言葉もよく聞くが、当時の俺はモノを捨てる勢いのまま衝動的にLINEの友達を9割程消してしまった。学生時代から使っていたTwitterとInstagramはアカウントごと消してしまった始末。
今となってその行動は本当に後悔しているし、モノと違って切ってしまった人間関係は簡単に戻せない。LINEのバックアップも取っていなかったので貴重な中高生時代の友達と連絡を取る手段はほぼ消えた。
別に昔の同級生みんなと常に連絡を取り合っていたいわけではないが、ふとした瞬間に連絡を取りたいタイミングが大人になってからはちょくちょくあるし、上京組なら尚更だ。
過去がクリアになる感覚は確かに心地よいし、無駄な人間関係を衝動的にリセットしたい気持ちは本当によく分かるが、せめてLINEの連絡先だけでも一応置いておくことを推奨させてもらう。
まとめ
"お片付け思考法"とタイトルにつけておいて、かなり重い話になってしまい申し訳ない。
けど、これが俺の身の回りがスッキリしている理由であり、この先、生きていく上で大事にするであろう根本的な考え方の話。
ここまで極端ではなくても、身の回りの片付けや断捨離をする際に少しでもこの考え方が役立てば嬉しいし、実施した感想を忌憚なくTwitterのDMにでも送ってほしいです(*´꒳`*)
色々書いたけど、今はとにかく借金額を早くミニマルにしたいですわ…トホホ…