生活

6年間の借金生活の全てを赤裸々に話す【上京と鬱と失敗と】

過去の失敗や経験を振り返り、しっかりと受け止めることで前へ進める気がする。

2023年11月現在、借金を返済しながら25歳になった俺は借金と歩み続けているこの上京人生をあえて今振り返り、さらに前へ進みたいと思う次第。

この経験は確実に俺の人生の糧になってるし、誰かの人生の参考になるかもしれないから積極的に開示していこうと思います。

かなり長い記事になるので、暇があるときに読んでくれれば幸いです(๑>◡<๑)

というか、こういう記事って普通は借金を完済した後に過去の話として書くよね。

第1章:旅立ち

遡ること6年前。

当時高校3年生だった俺は大学進学を希望してたんだけど、普通に家が貧乏だったので普通に諦めた。奨学金を満額借りてもおそらく無理っぽかった。

大学に対して憧れはあったけど、経済的に進学が厳しいのはある程度分かっていたから、「行けたとしても結局しんどいかもなぁ」と思ってしまい3年生の途中からほぼ勉強をせずバイトばかりしていた。たいして頭も良くなかったしね。

その後、2017年の3月に高校を卒業。

家庭の都合により、高校を卒業した後は家を出て1人暮らしをしなければいけなかったんだ。

この1人暮らしというのは別に地元の奈良でも良かったんだけど、大学進学が叶わなかった俺は漠然と東京に行きたいと思った。

仕事のためでも学校のためでも夢のためでもなく、本当に漠然とした憧れのような感覚でそのまま上京することを決めた。

2ヶ月間のフリーター生活と部屋探し

上京を決心してからは、とりあえず家の近くのお好み焼き屋でアルバイトをしながら、実家にインターネット環境が無かったのでネットカフェで東京の物件を探しまくる日々を送る。

そして、バイトの給料が入ったタイミングで1度東京へ行き、物件の内見を済ませ、契約まで事を進めた。

これは余談だが、引っ越しを検討する中で東京の相場を知らなかった俺は、当時対応してくれていた不動産屋に対して「渋谷区の笹塚に住みたい、払える家賃は2万円が限界」というトチ狂った要望を出してしまった為、優しい担当の方が俺を納得させようとあらゆる物件を紹介してくれたのち、結果的に今住んでいる神奈川の格安物件を薦められそのまま契約した。

この時はてっきりその場で契約完了するものだと思っていたけど、当時俺は18歳で親の同意が必要だったので、契約に必要な書類と東京バナナを小脇に抱えて一旦奈良へ帰還。

その道中で「物件契約に必要な初期費用・新居で必要な最低限の家具家電の費用・引っ越してから給料が貰えるまでのタイムラグを賄う生活費」を算出してみると、なんとびっくり。手持ちのお金じゃ全然足りなかった。

とはいえ、早く家を出ないといけない焦りと物件契約を進めてしまっている状況から悠長にお金が貯まるまで待つという選択肢は無く、必然的にお金を借りることとなる。

前置きが長くなったが、ここで俺の人生初めての借金イベントが発生。

【初めての借金】クレジットカードのキャッシング枠から10万円

当時の俺は消費者金融の存在すら知らない子鹿だったけど"どうやらクレジットカードからお金を借りれるらしい"という情報は知ってたから、人生で初めてクレジットカード発行の申請を試みる。

生まれて初めて申請したカードは"イオンカード"、理由は"審査が甘い"と口コミが多かったから。

現金を借りる」ためにクレジットカードを作るという異質なスタートダッシュを切ったのだ。

そして、アルバイトで継続的な収入があった俺は幸か不幸か18歳で人生初のクレジットカードを手に入れる。

手元にカードが届いたら、何の躊躇いもなくコンビニのATMへ行きキャッシング枠目一杯の10万円を引き出す。

そのまま賃貸の初期費用やら関東までの夜行バスのチケットやらを支払い、鼻息を荒くしながら帰路についた。

ここから、夢の上京生活が始まる。

第2章:挫折

2017年6月。

賃貸の初期費用やら家具家電のお金やらをある程度払い終えた俺は、夜行バスで痛めた腰を労りながら残った手持ちの2万円を握りしめてついに新宿に降り立つ。

仕事も今後の予定もなにも決まってなかったが、当時の俺は満ち溢れる希望パワーにより無敵だった。

金はない。でも不安もない。マリオのスーパースター状態。

とはいえ翌月の家賃も払えない状況だったので、一旦クレジットカードのリボ払いで生活費の支出を後回しにしながら、日払いの工場バイトと週払いのチラシ配りのバイトでなんとか1人暮らし生活を維持し続ける。

そこから時が経ち、やっとこさ生活が安定し始めたので憧れだったカフェのバイトを始める。

その後、別のバイト先では正社員登用により給与はたいして変わらないけど責任と仕事量だけ段違いに増える正社員デビューを果たす。

めまぐるしく変わる新生活は徐々に落ち着き始めるも、仕事のストレスや一心不乱に走り抜けた新生活の反動でずっと心がもやもやするようになり、それによって避けようのないネガティブな感情が常時止まらなくなる。

「借金・他人との比較・劣等感」の3コンボにより大メンヘラ時代へ突入

2019年頃の話。

20歳になり無事成人となった俺はこのぐらいの時期から、海賊王ロジャーも驚くほどの大海賊時代ならぬ大メンヘラ時代に突入することになる。

そうなってしまった主なきっかけは2つ。

1つ目は、冒頭で話したクレカのキャッシング枠10万円と、引越し直後の足りない生活費や家具家電の購入費などをリボ払いで後回しにしていたクレカのショッピング枠50万円の合計60万円の元金が、毎月何万円と返済しているにも関わらずほぼ減っていないという至極当前の事実に気づき始め絶望してしまったこと。

2つ目は、SNSを見ると嬉々として煌めいた大学生活を送る同級生の姿や、専門学校を卒業し華々しい社会人生活をスタートしている友の姿がチラチラ見え始めたこと。

要は「自分はこんなに苦労しているのに、どうして他の人間はこんなにも恵まれた環境で過ごしてやがるんだ」という嫉妬やら羨望やらの感情が露骨に溢れ出てしまった。

悲劇のヒロイン症候群ってやつ。

それに加え、悲劇のヒロインぶる割には現状を打開するような努力を全くせず不満を募らせるだけの自分に対して嫌悪感が爆発した。

そうしてしばらく過ごしているうちに、俺は半分うつ病のような状態になった。

判断を誤った後悔と、それでも生きなければならない現実

実は俺は病院で「うつ病」と正式に診断されたわけじゃない。

正直に話すと、正式に「うつ病」と診断されるのがとても怖かったのと、言い訳がましいが病院に行く体力気力が全くなかったからなんだ。

だけど今になって思う、この時の判断は確実に間違えていた。

やはり、病院でしっかりと診断書をもらい、国や自治体から適切な支援を受けるべきだったと今でも悔やんでいる。

とはいえ、過ぎてしまったことは仕方ない。

話が脱線したが、俺はこの半うつの症状に耐えられず20歳〜21歳までの約1年間を無職で過ごすことになる。

【2回目の借金】消費者金融とコロナ特例の貸付金で1年の無職期間を乗り切る

元々貯金も無く贅沢もあまり出来ない生活をしていた俺が無職になれば、当然詰む。そして実際に詰んだ。

精神不調で体調が悪いから職を辞めたのに、職を辞めたことによる金銭的不安で余計に体調が悪くなる始末。

さっきも話したが、きちんと病院で診断書をもらって生活保護や傷病手当を申請したり相談していれば、確実に違った未来があった。

けど、当時の俺はそれらを選択肢として知っていたにも関わらず、知識不足と焦りにより間違った茨の道に進んでしまった。

とにかく金が必要と焦った俺は無職になる前の自分の年収をひっさげて、あらゆる消費者金融を尋ねた。

審査が通った消費者金融から借りられるだけお金を借りまくり、結果的に下記の額を調達した。

消費者金融名借入額
レイク500,000円
アイフル300,000円
アコム100,000円
プロミス100,000円
合計1,000,000円

この後も、壊れてしまったiPhoneの買い替えと今後絶対に必要になるノートパソコンを買う為に「Paidy」で25万円。

コロナで経済的に困窮した人に無利子でお金を貸付してくれる「緊急小口資金」から20万円と「総合支援資金」から90万円を借入した。

ここに元々あったイオンカードのリボ&キャッシング計60万円が加わるので、全ての借入額を合計すると295万円になる。

借入先借入額
イオン(年利15%)600,000円
レイク(年利18%)500,000円
アイフル(年利18%)300,000円
アコム(年利18%)100,000円
プロミス(年利18%)100,000円
Paidy(無利子)250,000円
緊急小口資金(無利子)200,000円
総合支援資金(無利子)900,000円
合計2,950,000円

借りれる内にとりあえず借りてしまおう精神で至った末路がこれ。恐ろしすぎる。

とはいえ、一気に295万円を借入して使ったわけではなく、無職期間の生活費とスマホ&パソコンの購入費として1年で200万円を借入して、その後の95万円は徐々に仕事に戻り始めた時の足りないお金や借金返済の補填に充てた。

とにかく補填。返済に足りないお金を新たに借りたお金で補填する日々。他にやり方はあっただろうけど、当時の俺にとってそれしか出来なかったなら仕方ない。

こうして、俺の借金返済地獄が始まったってわけ。

精神不調になったのは仕方ないことだけど、"知識不足"と"思い込み"で最善の手を選べなかった自分はとてもバカだったなと振り返ってみて思う。

だから、この295万円という借金は「病気だから仕方ない50%:無知な自分の勉強代50%」という認識。

自分を100%責めるわけではないけど、「お前焦り過ぎやろ。1回落ち着け」と一発ツッコミを入れたいとも思うみたいな感じ。

絶望と回復

ただでさえメンタルがやられている最中に、多重債務という取り返しのつかないことをしたという現実と向き合った俺は完全に心が折れ、考えたくなかった「自己破産」や「死」の文字が常に脳裏に浮かんでいた。どう考えても立て直せる気がしなかった。

ところがどっこい、まるで神様がその場でバランス調整をしているかのように俺のうつの症状が回復し始めた。その時のことはこの記事にも書いてます↓

そこからアルバイトとはいえまた仕事を再開し、ほんの少しずつではあるが借金の元金も減ってきて返済の負担も徐々に徐々に軽くなっていった。

結果的に、任意整理も自己破産もこの世からのリタイアもせず難を逃れた。

クサい言葉だけど、絶望の世界に夜明けの兆しが見え始めた。

この時、俺は22歳。

第3章:再起

この借金地獄に僅かな光を見つけた俺は、とにかく借金の額を減らすことを目的に生きた。

だけど、自分の心が落ち着くまでは就職や収入を増やすことを無理に考えず、あくまで自分の歩幅で歩き続けた。

メンタル不調でバイトが続かない時もあったし、お金の無い生活に嫌気がさして辛くなる時もあったが、とにかく無理はしないこと。

そうして、フリーターとして2年ほど経った2022年頃、このブログの基盤となる「自分メモ」を記し始める。

抱えている悩みを全て書き出し、解決の目処を立てる「自分メモ方式」を採用

これは前に書いた↓の記事の内容でもあるけど、当時見ていたYouTuberが話していたことを参考にして、悩みや不安を狂ったようにスマホのメモに書き出しまくった。

内容としては、「借金が多いのが辛い」だの「24歳なのにまだフリーターだ」だの「周りに比べて自分は劣っている気がする」だの。

大きい問題から小さな悩みまで、全部書き出した。

そして、それらを解決する為の方法を1つ1つ地道に考えた。

自分メモによって完済の目処を立てることが出来た「借金問題」

当時、毎月の懸命な返済により借金総額が徐々に減っていることは肌で感じていたが、具体的にどのくらい額が減っていて後どのくらい返済を続ければ完済できるのかという目処を全く立てていなかった。

だから、全ての借入先をリストにしたり利息額を計算したり、完済までの期間を確認したり繰上げ返済の可否を調べたりなど、「借金が辛い」という悩みに対して「結局何が1番辛いのか」が分かるまでみじん切りレベルで問題を細分化していく。

結局、「借金そのもの」が辛いというよりは「この返済生活がいつ終わるか分からないこと」が辛いと判明したから、借金完済までのロードマップを作ってみたらアラ不思議、俺の中の不安が少し解消されたって話らしいよ。

ここで俺は「悩みを書き出して可視化するってめっちゃ大事やん」ということに気づく。

そして、2023年10月。

この「Tsujiblog」を立ち上げ、今に至るというわけ。

第◯章:人生

というわけで長々と書きましたが、これが上京してから借金まみれになるまでの経緯。

半うつになった時ぐらいまでは「この人生もう終わったわ」って本気で思ってたけど、工夫しまくって生き延びた今があるからこそ「案外悪くないかも」とさえ思い始めてる。

まぁ、借金自体はどう考えてもしんどいけどね。けど、俺の人生自体はそんな悪くない。

"自分の人生との向き合い方"について学べたのが、今のところの結果であり収穫かなといったところ。

そして、これらは今のところ"自分自身を納得させる為の強がり"に過ぎなくて、これを"本音"にするのが今後の課題というわけです。

月並みの言葉になりますが、結局"自分の人生は自分の考え方次第"ってことですね。

...

まるで借金を完済し終えたかのような口ぶり...!

信じられるか?この記事の筆者はこの時点でまだ230万円近く借金が残ってるんだぜ...!

...

長くなりましたが、まずは借金完済を目標に日々を生きていきたいと思います。それじゃ、また。

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Tsujiken

奈良県からやってきた26歳フリーター。
現在の借金総額1,609,133円(2024年12月時点)。しんどい。
当ブログは人生の備忘録として更新する予定。YouTubeとX(旧Twitter)やってます。

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